DCL と大学教育--地球科学を絶滅の危機から救えるか?--- DCL and university education -- Can the geoscience be saved from the crisis of extermination? --- セッション記号:Ae 酒井 敏, 地球流体電脳倶楽部 [DCL の心] 1980年代、地球科学は計算機に対する依存度を急速に高め、計算抜きに は語れなくなった。観測データの解析はもちろんのこと、理論的な研究 にも計算機は不可欠のものとなり、特に画像表示はデータを認識するた めの基本操作(読み書きそろばんの類)となった。ところが、旧態依然と した研究教育体制のもとでは、このような技術や知識を体系的に整備し、 後世に伝えることができず、学生・研究者個人がさんざん苦労した結果 は、ほとんどが使い捨てにしなければならなかった。このような状況を 打開すべく、ボランティアベースの「地球流体電脳倶楽部」が結成され、 多くの人々の協力により、地球科学のためのFortran ライブラリ DCL が 生まれたのである。現在、DCL は Fortran90 に対応し、フリーのグラ フィックライブラリとして、かなり広く使われている。 DCL を支える「電脳倶楽部」が大学などの正規の組織としてではなく、 ボランティアベースで活動してきた理由は、我々が抱えていた問題を組 織的に正面から解決することは、現実問題として不可能であると考えて いたからである。たとえば、このような計算ライブラリを維持する為に は、技官の協力がほしいところであるが、そのようなポストを確保する ことは非常に難しい。そこで、研究者自身が協力分担して仕事を行なう ことで過度の負担を避けるとともに、そのような仕事を「研究活動の一 部」として認知する目指したのである。 実際、ここ10年間でこのような研究教育基盤を支える仕事のサポート体 制は全く改善されていない。それどころか、以下に述べるように計算機 環境のみならず、基本的な教育体制そのものまで崩壊し始めてしまった。 これは特に「地球科学」において深刻である。 [大学教育の崩壊] ここ10年ほどで大学で起きた主な出来事は、 1.大学院重点化による大学院乱立 2.教養部解体による教養教育崩壊 3.高校の指導要領改定に伴う学力低下 である。そして、この間一貫して唱えられてきたスローガンは「狭い専 門にとらわれず幅広い知識を持った専門家の育成」であった。ところが 上記の出来事の結果、現実に起こったことは、幅広い知識を必要とする 分野ほど、教育レベルの維持が困難になってしまったことである。特に、 地球科学はもともと「大学教養課程の基礎知識」を前提にした「応用科 学」であるので、もともと「たこ壷的教育」をしてきた研究室以外は、 危機的状況にある。 [大学の役割」 では、もともと大学はなんのためにあるのだろうか?「教育」に限って見 ても、その役割は大きく分けて2つあると思われる。 1.既存の知識を整理して後世に伝える。 2.新しい知識を得るためのノウハウ(哲学、根性)を伝える。 現在大学で行われている「講義」は、ほとんど1の目的で行われている。 しかし、教官が黒板の前に立って、学生がひたすらノートをとる現在の 講義形態は、この目的に対して理想的なものとは言いがたい。情報ネッ トワークが普及し、インターネット上で資格が取れるようになってきた 現在、この部分での改善は大きな可能性がある。そして、ネットワーク を使うようになった時点で物理的な「大学」という枠がほとんど意味を なさないものになるであろう。 これに対して、2は生身の教官との接触が必要であり、これはいくらネッ トワークが発達しても、物理的な「大学」から離れることは難しいであ ろう。つまり、大学の大学たる由縁はこの2の部分にあると考える. [ではどうするか?] 前述の大学の絶望的状況は、実は主として1に関するものである。そして、 この1の役割は必ずしも大学という枠の中で行なう必然性はさほどない。 大学にとって、本当に大事なのは2の部分である。この点を見誤ると、大 きな間違いをする。 つまり、現在の大学の状況で、大学が組織として1の役割を担うべく奮闘 努力することは実りが少ない。大学は2の役割で真価を問われるべきだか らである。1を担う組織としては、学会や研究会のような組織が最も適し ているであろう。もちろん1の役割を担う「人材」は、大学に所属してい るので、大学がそのような活動を認める必要はあり、それが若干の問題 を引き起すかも知れない。しかし、現在の大学組織を大きく変えること の困難さを考えれば、このような解決方法が最も現実的ではないかと思 える。 これは「DCLの心」で大学の講義を行なうということである。DCL場合と 同様、これを大学の講義全体に広げることは、相当な覚悟がいる。しか し、それができなければ地球科学の知識を後世に伝えるための仕組みは 崩壊し、自然科学としての地球科学は日本では絶滅してしまう。この絶 滅から地球科学を救うために、我々は今何をすべきか、真剣に考えなけ ればならないだろう。