都ぞ弥生の前口上について

都ぞ弥生巨大吊り看

都ぞ弥生を歌う前によくかかる「吾等が三年を契る...」で始まる口上. これは楡陵謳春賦(ゆりょうおうしゅんふ)と呼ばれ, 昭和 11 年寮歌「嗚呼茫々の」の序文としてついているものです. 「嗚呼茫々の」の作歌者である宍戸昌夫君に敬意を表し, 以下に「都ぞ弥生」の前に使われるものとは読みが異なる全文を載せます.

楡陵謳春賦 (元の読み方)

吾等(われら)三年(みとせ)(ちぎ)絢爛(けんらん)
その饗宴(うたげ)はげに()(やす)し。
(しか)れども()ずや穹北(きゅうほく)
(またた)星斗(せいと)永久(とこしへ)(くも)りなく、
(くも)とまがふ万朶(ばんだ)桜花(おうか)久遠(くおん)()えざるを。
寮友(とも)(いたず)らに明日(あす)運命(さだめ)
(なげ)かんよりは楡林(ゆりん)篝火(かがりび)()きて、
()りては(ふたた)(かえ)らざる
(わか)()感激(かんげき)謳歌(うた)はん。

2018/03 現在, 都ぞ弥生の前に用いられる前口上では漢字の読みが異なり,

  • 永久 : とこしへ → とは
  • 寮友 : とも → ともどち
となっているため, 以下のようになっています.

楡陵謳春賦 (都ぞ弥生での読み方)

吾等(われら)三年(みとせ)(ちぎ)絢爛(けんらん)
その饗宴(うたげ)はげに()(やす)し。
(しか)れども()ずや穹北(きゅうほく)
(またた)星斗(せいと)永久(とは)(くも)りなく、
(くも)とまがふ万朶(ばんだ)桜花(おうか)久遠(くおん)()えざるを。
寮友(ともどち)(いたず)らに明日(あす)運命(さだめ)
(なげ)かんよりは楡林(ゆりん)篝火(かがりび)()きて、
()りては(ふたた)(かえ)らざる
(わか)()感激(かんげき)謳歌(うた)はん。

前口上に関する注意

「楡陵謳春賦」の作者である宍戸君は. 都ぞ弥生と共に述べられることについて, 快く思っていなかったそうです. 北大事務が発行している学生向け広報誌 えるむ 第116号 (2005 年発行) には

「鳴呼茫々の(昭和11年寮歌)」,そして,この歌の序文「楡陵謳春賦」の作者で, 本学のOBの宍戸 昌夫 氏から,「都ぞ弥生」を歌う前にこの序文を述べることについて, 作者の本意としておらず,残念でならないというお手紙が本学に寄せられました。
と掲載されています. 以上のことから, 都ぞ弥生を歌う際に前口上を使用するのは注意すべきです.


前口上をかけない都ぞ弥生

平成31年新年歌始めの会にて. (2019年1月26日 北海道恵迪寮同窓会主催)


以下, この件に関する私, 村橋自身の個人的な考え方.

もちろん作者の意向は尊重すべきだし, 間違っていることは正そうとするべきであるとは 思いますが, もうかれこれ 40 年近くも (正しくないとはいえ) 続けてしまっている, しかも関係者のほとんど全員が当たり前だと思っていることを今更止めようなんて ほとんど無理な話だと考えています.

「やめよう」と声を上げ続けることに反対はしませんが, それで止まらなかったからといって 文句をいってはいけないと思っています. 以前, 40 歳ぐらい上の OB の方から「都ぞ弥生の音程が正しくないので 直すべきだ. 君もそう主張, 指導すべきだ」とお叱りを受けたのですが, 私自身もまだ学生で若いとはいえ, もうとっくに出て 5 年の OB (2018 年現在) であり, そんなことを現役寮生に指導するような立場ではないのです. いわんや "出てからたった 5 年しか" 経ってない私ですら 「今の寮生は歌うテンポが早いなあ」と違和感を持っていますが, それを指摘して「直せ」 なんていうのは老害でしかないです.

今の寮の文化は今の寮生が紡いでいて, 特に寮歌に関しては, 今も作り続けていることもあり, 彼らの文化そのものです. すでに外野になってしまった OB はそこにとやかくいう権利を持っていると私は到底思っていません. 都ぞ弥生に限らず, それぞれ他の歌の歌い方もどんどん変遷しているし, それでよいと考えています. 現役自身が「正しく歌おう」と思って変えていくのはよいことだし, それを OB の立場から促すことはよいと思いますが, OB の立場から「指導」することは, まったくもって論外だと思います.

私自身も上の人から「前口上付き」で都ぞ弥生を教わったということもありますが, しつこく「やめなさい」と迫る人々には正直うんざりです. 自分たち (のやり方) が一番だから従え, と主張するならば, 寮歌の歴史を紡いでる意味はまったく薄れてしまうのではないかとさえ思います. OB ができることは「やめてくれという話もあったのだ」ということが, 忘れられないようにすることなのではないかと考えています. それを聞いてどうするかは現役自身で考えることだと思います.

というわけで, 作者の気持ちも尊重しつつも, 大いに歌えばよいと思います. (2018/03/01 記載, 勢いに任せて書いたので推敲足らず)

2019/02/04 追記:
「村橋の個人的見解」と最初に書いておいたのにもかかわらず, この件について 「作者の意向を無視して公認するということか」という趣旨の意見を見かけました. どうやら個人的に公に向けて発信することと, 公式 (?) 見解というものの区別がつけられない方がいらっしゃるようです.

さらに「個人的見解」の前段における部分では良いとも悪いとも記述せず, 単に事実のみを掲載するように努めているのですが, なぜか私の個人的見解もごちゃまぜにして 「恵迪寮主流派はそう考えている」「作者の意向を無視するのか」と捉えられてしまっています. これは主流派かどうかとは関係なく私の「個人的見解」だし, 作者の意向を無視するのではなく 「OBからしつこく迫るべきではない」と記述しているだけなのですが, どうやらそのようには解釈されていないようなので, 私の文章の書き方が不味かったのかと反省しているところです.

ただ少なくともこのページで述べているいくらかの「事実」と「個人的見解」を区別できない方は大変残念です. 「テレビで言ってたから正しい」と簡単に信じてしまう人と同じぐらい残念です. 様々な事情が絡み, 複雑な問題になっている現状をまったく理解しようとしていないのではないかと疑ってしまいます. 基本的にはこの前口上問題について, 良しとしない方は私の観測範囲では 60 歳を超えた方ばかりのはずです. したがってこの問題について思うところが多いのはその世代のはずであり, お言葉ではありますが, そのような年齢にもなって冷静に問題を把握できないことは大変見苦しいと思います. それこそ正に「老害」です. おやめください.

以上, 個人的見解です.


恵迪寮寮歌の前口上

このページに「北大寮歌 前口上」と検索して来る人が少なくないものの, 大半の場合は「都ぞ弥生」の前口上について知りたいと思うので, 上記のみで十分かと思いますが, 念のため「都ぞ弥生以外の北大寮歌における前口上」について記述しておきます.

2018 年現在, 100 曲を超える恵迪寮寮歌の中で, 寮歌そのものを歌う前に宣言されるいわゆる「前口上」を持つ歌は以下の通りです.

  • 昭和 6 年閉寮記念寮歌「別離の歌」
  • 昭和 11 年寮歌「嗚呼茫々の」
  • 昭和 41 年寮歌「いつの日か生命結ばん」
  • 昭和 55 年寮歌「楡は枯れず」
  • 昭和 58 年寮歌「寮生の道」
  • 平成 9 年度寮歌「昇龍の夢」
  • 平成 23 年度寮歌「広がるはただ青き旅路ぞ」
  • 平成 26 年度寮歌「姫月に重ねて」
  • 平成 28 年度寮歌「此の寮よりの児」
それぞれの前口上, 歌詞については収録曲一覧をご覧ください. 2019 年現在では, 寮歌を歌う時のフォーマットとしては「XX 年度寮歌『◯◯◯◯◯』, アインス, ツヴァイ, ドライ」と宣言するのですが, この宣言の前に叫ばれるのがいわゆる「前口上」になります. 「都ぞ弥生」で「楡陵謳春賦」が用いられる際も, 似たような流れになります.